秋山成勲の波乱に満ちた原点は、在日韓国人4世として生まれた出自と柔道界での壮絶な苦闘にあります。近畿大学卒業後、韓国代表として五輪出場を目指して単身韓国へ渡ったものの、龍仁大学閥を中心とする厳しい派閥主義に阻まれる苦渋を味わいました。2001年に日本へ帰化し、翌2002年の釜山アジア大会で日本代表として金メダルを獲得した際、日韓両国のメディアから激しい賛否両論を浴びた経緯があります。
そして日本格闘技史に深く刻まれたのが、2006年大晦日の『K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』における桜庭和志との一戦です。試合中、桜庭が「滑る!」と猛抗議し、その後の検証委員会によって秋山が試合前に全身へスキンクリーム(多機能保湿ローション)を塗布していた事実が判明しました。
公式裁定は「無効試合(ノーコンテスト)」および「無期限出場停止処分」となり、日本中のファンやメディアから激しい批判を受けました。当時の公式会見で秋山は「乾燥肌のために常用していたスキンローションを普段通りに塗ってしまい、禁止事項であるという認識が欠落していた」と説明。後年の手記でも過失を認めつつ、自らの軽率さが招いた代償の大きさを痛感したと振り返っています。この事件によって決定的なヒール像を背負った秋山は、日本マット界での孤立を深めていきました。