歌謡史に燦然と輝く名曲の多くは、平穏な日常からではなく、表現者が崖っぷちに追い詰められた限界状況から産み落とされます。徳久広司氏の『北へ帰ろう』もまさにその系譜に連なる作品です。発売年は1975年(昭和50年)。高度経済成長が石油危機によって急減速し、日本中が狂乱の宴の後に訪れた虚無感と先行きの見えない不安に包まれていた時代でした。
佐賀県出身の徳久氏は、大きな夢を抱いて上京したものの、音楽の世界で芽が出るまでは極貧と孤立に耐える過酷な下積み生活を余儀なくされていました。当時の関係者が語る回想録によると、木造アパートの冷え切った一室で、手持ちの小銭を数えながらギターの弦を爪弾いていた日々こそが、この楽曲の母胎となったと伝えられています。
「このまま都会の波に呑まれて消えてしまうのではないか」という焦燥感。きらびやかなネオン街の片隅で、夢破れかけた若者が抱く強烈な望郷の念。それは決して計算されたヒットの数式ではなく、自らの剥き出しの心情を吐露したプライベートな告白でした。フォークソングの叙情性と演歌の土着的な哀愁が奇跡的なバランスで融合したメロディは、当時同じように地方から集まり、都会の荒波に揉まれていた若者や労働者たちの胸に鋭く突き刺さったのです。