家族の会話で最も耳にする機会が多く、かつ見過ごされやすいのが「あれ」「それ」「あの人」といった指示代名詞への逃避だ。この認知症口癖あれそれの多発は、脳の側頭葉に蓄えられた膨大な言語データベースから特定の固有名詞や名詞を引き出す「想起回路」に障害が生じていることを示唆している。脳科学的に見れば、言いたい概念は頭に浮かんでいるものの、単語というラベルを貼って口から出力するまでの伝達速度が低下し、咄嗟の代用として指示代名詞に頼らざるを得ない状態に陥っている。
さらに警戒すべきは、本人が単語を思い出せない焦りをごまかすために、「ほら、あの有名なやつだよ」「言わなくてもわかるでしょ」と相手に会話の主導権を委ねる認知症初期症状会話のパターンだ。会話のテンポを維持しようと繕うあまり、中身の薄い曖昧な言葉遣いが定着していく。
一方、「めんどくさい」「もうどうでもいい」「疲れるから行かない」といった言葉の急増は、記憶ではなく意欲や感情の司令塔である前頭葉の機能低下が主因だ。これは前頭葉萎縮症状の典型例であり、医学的には「アパシー(自発性減退・無気力)」と呼ばれる状態に該当する。
前頭前野が萎縮すると、行動を計画し、順序立てて実行する「実行機能」が真っ先に損なわれる。以前は楽しんでいた料理、庭いじり、旅行の計画などが複雑で過剰な認知的負荷となり、脳が無意識に防衛反応として処理を拒絶する。その結果として口から漏れ出る言葉が「めんどくさい」なのである。単なる性格のズボラさや加齢による疲弊ではなく、脳の回路が音を立てて悲鳴を上げている瞬間だ。