羽田内閣なぜ64日で崩壊?1994年政変の真相と知られざる功績

羽田内閣なぜ64日で崩壊?1994年政変の真相と知られざる功績

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羽田内閣がなぜこれほど極端な短命に終わったのか。その引き金は、政策の対立や金銭スキャンダルではなく、組閣直前の深夜に強行された連立内部の露骨な「権力奪取クーデター」にあった。

首班指名が行われた4月25日の夜、新生党代表幹事の小沢一郎らは、日本新党、民社党、改革の会、自由党などと共に、衆議院で130議席規模となる統一会派「改新」の結成を突如として発表した。この画策の狙いは、二大政党制を見据えた新党結成の地ならしと、連立内で安全保障や税制改革に難色を示しがちだった日本社会党に対する主導権の掌握だった。

だが、この動きは連立第1党であった社会党(衆議院74議席)に一切の事前相談なく進められた「頭越し」の排除通告に等しかった。社会党書記長(当時)の久保亘らは深夜の記者会見で「明白な背信行為であり、連立への重大な裏切りだ」と怒りを爆発させ、即座に連立政権からの離脱を表明したのである。新党さきがけの武村正義らもこの強引な手法に同調せず、閣外協力を選択した。

首班指名からわずか数時間後、親任式を待たずして連立は事実上瓦解した。羽田孜は後年の回顧録や特番インタビューにおいて、「深夜に自宅で一報を聞いたとき、目の前が真っ暗になった。なぜ今そんなことをするのか、これでは内閣が立ち行かなくなるではないかと絶句した」という痛恨の告白を残している。こうして羽田内閣は、衆議院で定数の3割程度しか支持基盤を持たない羽田内閣 少数与党という極めて異例かつ脆弱な体制で船出せざるを得なくなった。

小林 直樹
著者

小林 直樹

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