「高幡のお不動さん」の愛称で親しまれる高幡山明王院金剛寺ですが、その起源は平安時代初期にまで遡ります。寺伝によると、大宝年間(701年以前)に行基菩提が開基したとも、あるいは清和天皇の勅願により慈覚大師円仁が東関鎮護の霊場として開創したとも伝えられています。いずれの伝承も、この地が古くから武蔵国の重要な霊的拠点であったことを物語っています。
しかし、その歩みは決して平穏無事なものではありませんでした。寺の記録や現地調査データによると、建治5年(1279年)の大暴風雨により、当時山頂(現在の南平丘陵・不動ヶ丘)にあった堂塔が悉く倒壊するという壊滅的被害に見舞われました。このとき、尊像である不動明王像も山吹の谷へと投げ出されたと記録されています。
この未曾有の危機を救ったのが、中興の祖と称される僧・亮恵(りょうけい)上人です。亮恵は康永元年(1342年)、山上から現在の山麓へと本拠を移し、堂宇を再建。さらに足利基氏らの外護を得て、寺領と伽藍を再整備しました。現存する「不動堂」および「仁王門」は室町時代初期の建築様式を色濃く残しており、ともに国の重要文化財に指定されています。自然災害による壊滅から不屈の精神で蘇った経緯そのものが、金剛寺に宿る「不退転」の霊力を象徴しています。