殿山泰司の破天荒な生涯|死因の真相と二重生活・新藤兼人との絆

殿山泰司の破天荒な生涯|死因の真相と二重生活・新藤兼人との絆

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1915年(大正4年)10月17日、兵庫県神戸市に生まれた殿山泰司の経歴は、波乱の昭和史そのものでした。おでん屋の息子として育ち、旧制広島第一中学校(現・広島国泰寺高校)を中退後、浅草の軽演劇や新協劇団を経て劇壇へ身を投じます。戦後は劇団民藝の前身活動に関わりつつ、映画界へと進出。1950年には新藤兼人や吉村公三郎らとともに独立プロダクションの草分けである近代映画協会の設立に参加し、生涯の活動拠点としました。

殿山泰司を語る上で欠かせないのが、数々の破天荒エピソードです。撮影前夜であっても浴びるように酒を飲み、銀座や新宿のバー、京都の先斗町で夜を明かすことは日常茶飯事でした。金があれば競馬やパチンコに注ぎ込み、手元に残らなければ平然と借金を重ねる無頼派の極みでありながら、現場に遅刻することはなく、台本は完璧に頭に入っていたといいます。

また、彼は芸能界屈指のジャズ愛好家としても知られていました。セロニアス・モンクやマイルス・デイヴィス、バド・パウエルなどのモダンジャズに深く傾倒し、地方ロケの合間には現地のジャズ喫茶へ直行してはレコードの音溝に耳を澄ませていました。単なる趣味の領域を超え、ジャズのリズムと即興性は、彼の独特な脱力感ある演技スタイルやエッセイのリズムの根源となっていました。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。