銀シャリ屋ゲコ亭を語る上で欠かせないのが、昭和38年(1963年)の創業以来、釜の前に立ち続けた初代店主・村嶋孟氏の存在です。酒を一切飲まない「下戸(ゲコ)」であったことから命名された小さな大衆食堂は、米に対する仙人の並外れた執念によって唯一無二の聖地へと昇華しました。
「米が立っとるやろ。飯は生きもんや。火加減と水加減、そして手触りで全部わかる」――当時の特番インタビューや手記で語られた仙人の言葉は、大衆食の領域を超えた求道者の哲学そのものでした。毎朝3時に起床し、手作業で米を一粒一粒見極め、長年の勘でブレンド比率を微調整する。沸騰した羽釜の蒸気圧を全身で受け止めながら木蓋を操る姿は、まさに生ける伝説でした。
そんな仙人に国際的な転機が訪れたのが2016年のことです。当時80代半ばを迎えていた村嶋氏に対し、中国政府系機関や国営企業から「本物の米炊き技術を指導してほしい」と異例の招聘オファーが舞い込みました。中国国内で約3年間にわたり現地米の品質向上や炊飯文化の普及に尽力し、現地メディアでも「米神」として大々的に報じられました。
その後、所期の指導プロジェクトを完遂した仙人は無事に日本へ帰国。現在は実質的な現場調理から引退し、高齢のため静かな生活を送っていますが、その炊飯理論と米への情熱は、後進の職人たちの中に脈々と受け継がれています。