五箇条の御誓文とは?現代語訳と理由・五榜の掲示との違いを徹底解説

五箇条の御誓文とは?現代語訳と理由・五榜の掲示との違いを徹底解説

五箇条の御誓文とは?現代語訳と理由・五榜の掲示との違いを徹底解説とはどのようなものなのか? 主要なファクトを丁寧に紐解いて紹介します。

御誓文が現在のような格調高い文章になった背景には、3人の傑出した政治家によるリレー執筆と、妥協のない加筆修正のプロセスがありました。「五箇条の御誓文 起草者」として歴史に名を刻むのは、由利公正、福岡孝弟、そして木戸孝允です。

第1段階:由利公正による「議事之体大」――経済再生と財政の視点

最初の原案を作成したのは、越前藩(福井藩)出身の由利公正(三岡八郎)でした。坂本龍馬とも親交が深く、藩財政を立て直した実績を買われて新政府の参与(財政担当)に抜擢されていた人物です。由利が起草した草案は「議事之体大(ぎじのたいだい)」と呼ばれ、全5条で構成されていました。

由利の関心は、幕末の動乱で疲弊した「民心の安定」と「産業経済の再生」にありました。原案の第1条は「庶民志を遂げ士民心を一にし」となっており、支配者側ではなく民衆の経済活動を活性化させる自由主義的なニュアンスが色濃く漂っていました。

第2段階:福岡孝弟の加筆修正――大名合議と「列侯会議」への傾斜

由利の原案に手を加えたのが、土佐藩出身の参与・福岡孝弟でした。福岡は土佐藩が掲げていた「公議政体論(諸侯が集まって議会を開き、徳川慶喜も含めて合議で治める構想)」の信奉者でした。そのため、由利の民衆重視の表現を後退させ、諸侯中心の統治体制を意識した修正を行いました。

福岡は第1条の冒頭に「列侯会議を興し」という文言を挿入しました。「列侯」とは各地の大名たちのことです。つまり、「大名たちが集まって議会を開く」という極めて限定的で身分制的な枠組みを法案に組み込もうとしたのです。さらに、形式を「天皇が臣下に示す教諭」のスタイルに改めようとしました。

第3段階:木戸孝允の歴史的英断――封建制を打ち破る「広く会議をおこし」へ

この原稿を決定的な国家ビジョンへと塗り替えたのが、長州藩を代表する指導者・木戸孝允でした。木戸は福岡の案を一目見て強い危機感を抱きました。諸侯だけの「列侯会議」にしてしまえば、新政府は単なる大名たちの妥協の産物(寄り合い所帯)に逆戻りし、激動の近代化を乗り切る強力な中央集権国家をつくることはできないと見抜いたのです。

木戸は大胆にも「列侯会議」の文字を削り、「広く会議をおこし(廣ク會議ヲ興シ)」という主語を限定しない開放的な表現へと書き直しました。これにより、会議の構成員は大名に限定されず、下級武士や将来的な知識人、ひいては国民全般への参政へと解釈の幅が広がったのです。さらに、形式を「天皇が臣下に下すもの」から、「天皇自身が神に誓い、臣下全員と共有する誓約」へと大転換させました。この木戸の劇的な修正がなければ、五箇条の御誓文は単なる「幕末大名談合の申し合わせ」として歴史の闇に埋もれていた可能性が高かったといえます。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。