沢田研二というアーティストの歩みは、日本のポップス史そのものと言っても過言ではない。グループサウンズ全盛期を牽引した「ザ・タイガース」のリードボーカルとして彗星のごとく登場し、熱狂的な支持を集めた。その後、大手芸能事務所である渡辺プロダクションの看板スターとして、数々のヒット曲を連発。奇抜で先進的な衣装と洗練されたパフォーマンスは、昭和歌謡の概念を根本から覆した。
しかし、巨大な成功の陰で、沢田は常に一人の表現者としての自立を模索していた。芸能界の枠組みにとらわれず、自身の信念を貫く姿勢は、時に大きな波紋を呼ぶこともあった。自らの歌と生き方に対して嘘をつかないという徹底した美学は、のちに田中裕子との人生をともに歩む上での強固な礎となっていく。