「処方された薬が数日分残ってしまったが、捨てるのはもったいない」という心理は、多くの人が抱く自然な感情です。しかし、医療の現場において処方される医薬品は、ドラッグストアで購入できる市販薬とは根本的に性質が異なります。市販薬が不特定多数の安全性を考慮して成分量を抑えて設計されているのに対し、処方薬は「その診察時点における、その患者の体重・年齢・症状・臓器機能」に合わせて精密に計算された極めてパーソナルなものだからです。
まず直視すべきは、期限切れの薬を飲む危険性と副作用です。医薬品は製造から一定期間が経過すると、空気中の湿気や光、温度変化によって有効成分の化学分解が進みます。外見上は変化がないように見えても、分解産物による毒性の発生や、期待される薬効が失われることによる病状の悪化が報告されています。特に余った処方薬の使用期限と保管方法について、外箱に印字された製薬会社の使用期限を信じ込んでいるケースが散見されますが、これは未開封状態を前提とした基準に過ぎません。薬局で調剤され、PTPシートから切り離されたり粉薬(散剤)やシロップ剤として調製されたりした瞬間から、品質保持期間は劇的に短縮します。
日常的に発生しやすいのが、余った湿布や解熱鎮痛剤の再利用リスクです。「腰が痛いから以前もらった湿布を貼った」「頭痛がするから残っていたロキソプロフェンを飲んだ」という行為が、思わぬアレルギー反応や重度の接触皮膚炎(光線過敏症)、あるいは胃潰瘍や急性腎障害を引き起こす症例が後を絶ちません。過去に問題がなかった薬であっても、現在の体調や脱水状態、併用している他の薬との相互作用によって、命に関わる副作用へ豹変することがあります。
さらに危険極まりないのが、余った抗生物質をとっておくべきではない理由です。抗菌薬(抗生物質)は、体内の病原菌を完全に死滅させるために一定期間飲み切ることが大原則とされています。自己判断で「症状が治まったから」と途中で服用を止め、残りを保管しておく行為は、生き残った菌に変異を促し、いかなる薬も効かない「薬剤耐性菌(AMR)」を生み出す温床となります。喉の痛みや熱が出るたびに残った抗生物質を中途半端に飲む行為は、自らの治療を困難にするだけでなく、社会全体に耐性菌を蔓延させる公衆衛生上の脅威となっているのです。