高田馬場が全国にその名を轟かせるラーメン激戦区となった背景には、歴史を創り出してきた先駆者たちの存在がある。1990年代後半、ラーメン評論家の石神秀幸氏らメディアの発信によって、この街の個性溢れる店舗が次々とスポットライトを浴びた。学生街ならではの安さとボリュームという枠を超え、味の深みを追求する流れが一気に加速したのだ。
とりわけ、「渡なべ」を立ち上げた渡辺樹庵氏が提示したスープの設計思想と店舗デザインは、業界全体に大きな激震をもたらした。90年代末に一世を風靡した麺屋武蔵の出現以降、濃厚な豚骨魚介ラーメンや、太麺を濃密なタレに絡めて食べるつけ麺のブームが高田馬場を中心に爆発。新たな味の標準がこの街から全国へと拡散していった。
日本ラーメン協会などの業界関係者も注目するように、この地に店を構え生き残ることは、日本の外食産業における最高の栄誉であり、同時に熾烈な淘汰の現場であることを意味している。