事の発端は、新潮社が発行する『週刊新潮』によるスクープ報道だった。元秘書への罵倒と暴行疑惑を報じたその記事には、誰もが耳を疑うような音声が付属していた。東京大学法学部から厚生労働省の官僚を経てハーバード大学大学院へ留学、そして衆議院議員へと上り詰めた絵に描いたようなエリート政治家。その華麗な経歴と、あまりにも落差の激しい生々しい絶叫の対比は、大衆の好奇心を刺激するのに十分すぎる材料だった。
所属していた自由民主党は激震に見舞われ、豊田氏は瞬く間に離党届を提出、事実上の失脚を余儀なくされた。そのフレーズは同年の「ユーキャン新語・流行語大賞」の候補にノミネートされるなど、社会現象化していく。しかし、当時の報道は音声のインパクトばかりを増幅させ、本質的な政策能力やトラブルの背景にあった構造的要因を覆い隠してしまった。センセーショナリズムが事実を飲み込んだ典型的な瞬間だった。