本作が歴史的事実として観る者を圧倒する最大の根拠は、原作者のこうの史代氏と、アニメーション映画を手がけた片渕須直監督の凄まじい現地取材と時代考証にあります。
原作者のこうの氏は、執筆に先立って広島と呉の図書館や公文書館に通い詰め、当時の新聞縮刷版、戦時下の料理本、家計簿、婦人会の記録などを片っ端から調査しました。「当時は砂糖ひとさじがいくらだったのか」「野草のタンポポやスミレはどの程度食べられたのか」という微細な生活コストをすべて割り出し、漫画のコマの中に落とし込んだのです。
そして、そのバトンを受け取った片渕須直監督の考証作業は、映画制作の領域を完全に逸脱していました。監督とスタッフは呉と広島へ数十回に及ぶ現地フィールドワークを重ね、以下のような気の遠くなる調査を実行しました。
- 米軍の航空写真と公文書の解読:アメリカ国立公文書館(NARA)から戦時中の呉軍港を撮影した偵察写真や戦闘爆撃記録を取り寄せ、湾内に停泊していた戦艦「大和」や巡洋艦「青葉」の位置、沈没・炎上した箇所を1メートル単位で特定。
- 当時の天候と気象の完全再現:中央気象台(現・気象庁)の過去記録から、1944年〜1945年の呉市における毎日の気温、降水量、風向、さらには空襲当日の雲の高度まで割り出して作画に反映。
- 失われた街並みの復元作業:古写真数千枚を集めて住民の記憶と突き合わせ、道の勾配、側溝の深さ、電信柱の位置、軒先の看板の文字に至るまで、戦前の呉市本通や広島市中島本町(現・平和記念公園)をCGと手描きで完璧に再現。
特番インタビューや制作手記において片渕監督は、「当時の人々が日常を送っていた空間を、嘘をつかずにフィルムの中に再構築したかった。そうしなければ、彼女たちが生きた時間を本当に描いたことにはならない」と語っています。この狂気とも呼べる徹底した時代考証こそが、フィクションであるすずさんの存在に「実在の命」を吹き込んだのです。