なぜ医療の知識を持たない一般家庭や、多忙を極める介護現場でこの悲劇が繰り返されるのでしょうか。訪問看護ステーションの管理者や呼吸器内科の専門医が口を揃えるのは、患者家族が抱く「激しい焦燥感と医療リテラシーのギャップ」です。
都内の在宅療養支援診療所が2026年にまとめたヒアリング記録には、70代の妻が在宅酸素療法(HOT)を受ける80代の夫の酸素流量を無断で引き上げてしまった痛切な手記が残されています。「夜中に夫が『息が苦しい、空気が足りない』と訴え、胸を上下させて苦しんでいた。パルスオキシメーターを見たら85%まで下がっていたため、少しでも早く楽にしてあげたくて、医師から『絶対に動かさないで』と言われていた濃縮器のダイアルを1Lから4Lに回してしまった」と記されています。
その後、夫の激しい喘鳴はピタリと収まり、穏やかな寝息を立て始めたように見えたため妻は胸を撫で下ろしました。しかし翌朝、声をかけても激しく揺すっても夫は一切目を覚まさず、救急搬送されたときには重度の呼吸性アシドーシスで昏睡状態に陥っていたのです。
日本呼吸器学会などの公式発表資料でも繰り返し強調されている通り、COPDの酸素療法における注意点の根底には「苦痛の緩和=酸素増量」という直感が通用しない病態生理の壁があります。息苦しさの原因が「肺に酸素が入らないこと」ではなく「二酸化炭素が吐き出せないこと(換気不全)」にある場合、外からいくら高濃度の酸素を送り込んでも換気不全は悪化する一方です。医療機器が一般家庭に深く入り込んだ2026年現在、家族の純粋な善意が牙を剥くリスクはかつてないほど高まっています。