終戦の日のシンボルである玉音放送ですが、その背後では、放送そのものを阻止し戦争継続を図ろうとする狂気のクーデター計画が実行されていました。これが陸軍省の青年将校らを中心とする「宮城事件(きゅうじょうじけん)」です。
8月14日深夜、昭和天皇によるレコードの録音(下読みと本番の計2回)が皇居内で行われました。録音を担当したNHK技術陣と侍従たちは、放送用の玉音盤を皇后宮職事務室の軽金庫に厳重に保管します。
しかし、同じ頃、徹底抗戦を主張する陸軍省軍務局の畑中健二少佐、椎崎二郎中佐、井田正孝中佐らは、終戦を阻止すべく宮城(皇居)の武力占拠を画策していました。彼らは皇居警備を担当する近衛師団を味方に引き入れようとしますが、近衛第一師団長・森赳(たけし)中将は蜂起への参加を頑なに拒否します。業を煮やした将校らは、森師団長をその場で拳銃と軍刀で惨殺し、偽の師団命令(近衛師団命令第584号)を偽造して皇居を完全に封鎖・占拠しました。
金庫捜索と徳川義寛侍従への暴力
皇居を占拠した反乱将校たちは、録音された玉音盤を奪還・破棄するため、宮内省内を徹底的に捜索しました。電話線は切断され、外部との連絡を絶たれた暗闇の中で、反乱軍は関係者を拘束し詰問を重ねました。
当時、天皇の側近であった徳川義寛侍従は、将校たちから玉音盤の所在を厳しく追及され、激しい殴打や尋問を受けましたが、強打に耐えながら最後まで口を割りませんでした。玉音盤は書類に紛れて金庫の奥深くに隠されており、捜索の手をすり抜けたのです。
8月15日払暁、東部軍管区司令官・田中静壱大将が宮城に乗り込み、偽命令であることを暴露して近衛師団を鎮圧したことで、クーデターは完全に瓦解しました。首謀者の畑中少佐と椎崎中佐は皇居前広場で拳銃自決を遂げ、同じ日の早朝、陸軍大臣・阿南惟幾も「一死以テ大罪ヲ謝シ奉ル」との遺書を残して割腹自決しました。玉音放送は、まさに流血と背中合わせの紙一重の状況下で守り抜かれたものだったのです。