狙撃成功の報が駆け巡った直後から、巨大組織による執拗な追撃が始まった。しかし、鳴海清の足取りは忽然と消え去る。警察の捜査網も山口組の徹底的な捜索も、彼の居場所を捉えることはできなかった。「海外へ逃亡した」「裏社会の手で既に処刑された」など噂が飛び交い、事件は暗礁に乗り上げたかに見えた。
事件から約2年後の1980年9月、六甲山の山中で腐乱した男性の白骨死体が発見される。指紋や遺留品から、それこそが鳴海清本人であると確認された。全裸で背中に無数の刺し傷があり、セメント詰めのドラム缶から引き出されたような無残な状態だった。なぜ彼は姿を消し、いかにして凄惨な死を迎えたのか。
2026年に入り、当時事件を担当した警察OBの手記や未公開の通信解析データが新たに公表された。それらの資料が示すのは、逃亡生活を支えていたはずの身内――すなわち松田組関係者による「口封じ」の可能性である。山口組の猛烈な報復を恐れた組織上層部が、刺客として手柄を立てたはずの鳴海を潜伏先で拘束し、秘密裏に処理したというのが最新の分析だ。英雄から一転して「厄介者」へと落とされた男の、あまりにも孤独で凄絶な最期が浮き彫りになっている。