無鄰菴の敷地に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは、視界いっぱいに広がるなだらかな芝生の起伏と、奥にそびえる東山の稜線です。ここには、訪れる者の視覚心理を巧みに操る空間設計が凝らされています。
第一の見どころは、庭園の最奥部に配された三段の滝から湧き出る清流です。琵琶湖疏水から引き込まれた豊かな水は、段差を経て小川となり、軽快な水音を立てながら芝生の間を縫うように流れます。従来の池泉回遊式庭園のような淀んだ池ではなく、常に流動する「生きた水」を配したことで、空間全体に清涼なリズムがもたらされています。
第二の仕掛けは、計算し尽くされた借景の手法です。庭園を取り囲む木々は、南禅寺山をはじめとする東山の山並みが最も美しく見えるよう、樹冠の高さが緻密に剪定・管理されています。手前の芝生、中景の樹林、そして遠景の山が継ぎ目なく一体化し、都市部にあるわずか約3,135平方メートルの敷地が、無限の広がりを持つ大自然のように感じられる錯視効果を生み出しているのです。
さらに敷地内には、伝統的な数寄屋造りの母屋のほかに、赤煉瓦造りの洋館と藪内流の燕庵を模した茶室が点在しています。特に洋館の2階は、1903年(明治36年)に山縣有朋、伊藤博文、桂太郎、小村寿太郎の4首脳が集い、日露開戦前の緊迫した国際情勢のなかで対露方針を議論した「無鄰菴会議」の舞台として知られます。壁面を彩る華麗な金唐革紙(きんからかわし)と格天井の空間には、今なお近代日本の命運を決した歴史の重みが息づいています。