この独自の麺文化はどのようにして誕生したのか。喜多方ラーメン発祥歴史を遡ると、大正末期の1927年頃、中国・浙江省から日本へ渡ってきた青年の存在に行き当たります。
開祖とされる潘欽星(はん きんせい)氏が、手作りのチャルメラを鳴らしながら引いた一本の屋台。これが現在も元祖として敬われる名店「源来軒」の始まりです。潘氏が故郷の麺料理をベースに、喜多方の清らかな水と醤油を用いて仕立てた「支那そば」は瞬く間に町中で評判となり、彼は技術を惜しみなく地元の希望者へと伝授しました。この寛容な師弟関係が、街全体にラーメン店が広がる契機となったのです。
昭和30年代に入ると、現在全国にその名を轟かせる「坂内食堂」が創業します。豚骨をベースに塩ダレに近い独自の透明醤油スープを開発し、丼一面を自家製豚バラ肉で埋め尽くすスタイルを確立。これが後に全国的な話題となるチャーシューメン評判の先駆けとなりました。箸で持つだけで崩れるほど柔らかく煮込まれたチャーシューは、脂の甘みと赤身の旨味がスープに溶け出し、食べ進めるごとに味の深みが増す仕掛けとなっています。
1980年代前半、NHKの紀行番組や地元写真家による「蔵の街」の紹介をきっかけに観光客が急増。観光協会の積極的なPRとJR磐越西線のプロモーションが重なり、人口数万人の街に年間数十万人が押し寄せる一大ムーブメントへと昇華しました。