「熊襲(くまそ)」という名称の由来については、古代の地名を複合させた地縁的呼称であるという説が最も有力です。
具体的には、肥後国(現在の熊本県南部)の「球磨(くま)」と、大隅国(現在の鹿児島県東部)の「囎唹(そお)」を組み合わせた言葉とされています。つまり、九州南部の山間部から太平洋・東シナ海沿岸部に至る一帯の地域集団を、大和側が総称して「クマ・ソ」と呼んだのです。
また、言語学的なアプローチでは、以下の複合的背景も指摘されています。
- 猛勇の象徴としての「熊」:勇猛果敢な戦士を獣の熊になぞらえた蔑称兼尊称。
- 南方系言語(オーストロネシア語族)の残滓:黒潮に乗って北上してきた南方系海洋民の言語要素が地名や部族名に影響を与えたとする説。
当時の南九州は、シラス台地という火山灰性の特異な土壌環境と豊かな森林、そして東シナ海を通じた対外交易ルートを有していました。畿内を中心とする稲作水田主体のヤマト勢力とは異なり、狩猟・採集・林産資源・海上交易を自在に組み合わせた独自の経済基盤を築いていたからこそ、大和王権の律令支配に容易に屈しなかったのです。