大川橋蔵の闘病において、後世の医学界やジャーナリズムでも大きく取り上げられたのが「がん告知を巡る家族と主治医の壮絶な葛藤」でした。
1980年代の日本社会では、がんは「不治の病の宣告」と同義と捉えられており、本人に本当の病名を伏せ、家族だけに告知して精神的ショックを和らげることが一般的な医療倫理とされていました。主治医から「余命数カ月」という非情な現実を告げられた妻・真木洋子さんは、夫の「再び舞台や銀幕に復帰する」という強靭なプロ精神を守り抜くため、徹底して真実を隠し通す決断を下します。
病室での大川橋蔵は、激痛と衰弱に苦しみながらも、病名はあくまで「重度の胃潰瘍と肝機能障害」であると信じていました。ベッドの上でも台本を手放さず、発声練習や筋力維持のためのリハビリを懸命に続け、「来春の舞台には必ず立つ」と周囲に語り続けていた姿は、立ち会った看護師や関係者の涙を誘ったと伝えられています。
激痛を抑える鎮痛処置が施される中、意識が混濁する最期の日まで、大川橋蔵は俳優としての誇りと復帰への希望を一度も捨てることがありませんでした。真実を隠し通した妻・真木洋子さんの選択は、残酷な現実から夫の尊厳を守り、最後まで「大スター・大川橋蔵」として生き抜かせるための究極の愛の形であったと言えます。