『傷だらけの天使』が伝説となった背景には、当時の映画界やドラマ界のトップクリエイターたちが結集し、テレビの限界に挑んだ過激な制作環境がある。映画『仁義なき戦い』で日本中を震撼させていた深作欣二をはじめ、恩地日出夫、神代辰巳といった錚々たる映画監督たちが各話のメガホンを取った。
脚本陣の筆頭を務めた市川森一は、単なる痛快なアクションにとどまらず、人間の業や社会の不条理を深く抉り出す物語を紡ぎ出した。フィルム撮影による荒々しい質感、手持ちカメラを多用した生々しいカメラワーク、そして予定調和を徹底的に排除したビターな結末。当時の現場は、映画のダイナミズムをテレビドラマの文脈に叩き込むような凄まじい熱気に包まれていた。
最終話における亨の悲劇的な結末と、リヤカーを引いてゴミ捨て場へと向かう修のラストシーンは、市川森一の冷徹な作家性と萩原健一の壮絶な表現力が生み出した、テレビ史上に残る屈指のトラウマ的名場面として知られている。