中目黒駅構内で起きた日比谷線脱線衝突事故の経緯を振り返ると、極めて不条理な偶然と、防ぐことが可能だった構造的油断が交錯していた事実に直面します。
2000年3月8日、東急東横線への直通運転を行うため中目黒駅の手前を走行していた営団03系電車(8両編成)の最後尾(8号車)が、半径約160メートルの急カーブに差し掛かった際、突如としてレール外側へ車輪がせり上がる形で脱線しました。直後、対向の引上線から中目黒駅ホームへ向けて進入してきた東武20000系電車の5両目・6両目の側面に、脱線して傾斜した8号車が猛烈な勢いで衝突。車両側面は缶切りのように引き裂かれ、車内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化しました。
この日比谷線脱線衝突事故の犠牲となった富久信介さんは、期末試験の最終日を迎えていました。1時限目の地学は履修していなかったため、2時限目の英語の試験を受けるべく、普段とは異なる時間帯の電車に乗車。運命の悪戯のように事故車両の最後尾に乗り合わせてしまったのです。日頃から周囲を気遣い、明るい人柄で慕われていた17歳の若者の命は、突如として断ち切られました。