昭和三十年代から四十年代にかけて、神戸を本拠とする三代目山口組は全国へ電光石火の勢力拡大を進めていました。隣接する京都も当然のように巨大な圧力にさらされましたが、図越利一率いる会津小鉄会は一切屈することなく、独自の縄張りと誇りを死守しました。
山口組の三代目組長・田岡一雄も図越利一の器量と信念を高く評価し、全面戦争による共倒れを避ける道を選びました。双方は不可侵と共存の協定を結び、互いの領分を侵さない緊張感ある関係を維持。全国を席巻した山口組と対等に渡り合い、京都の独立を守り通した手腕は、当時の関係者の間でも語り草となっています。