1979年に一度引退を表明し渡米した藤圭子は、音楽プロデューサーの宇多田照實と出会い再婚。1983年1月19日、アメリカ・ニューヨークで長女となるヒカル(宇多田ヒカル)を出産しました。ここに、音楽家一家としての「宇多田家」の特異な歩みが始まります。
宇多田ヒカルの幼少期は、一般的な家庭環境とは大きく異なっていました。日米を頻繁に行き来し、生活の中心には常にレコーディングスタジオと機材が存在していました。父・照實がプロデュースを手掛け、母・圭子とともに家族ユニット「U3」を結成。1993年には家族3人でアルバム『STAR』を制作・リリースするなど、ヒカルは物心ついた頃から両親の音楽制作を間近で体感し、自らも作詞・作曲を自然と身につけていきました。
一方で、家庭環境は極めて波乱に満ちていました。照實と圭子は、ヒカルが成長する過程で通算7回もの結婚と離婚を繰り返したと公に報じられています。激しい感情のぶつかり合いと深い絆が交錯する両親の姿を見つめながら、ヒカルは幼少期にして達観した人間観察眼と、内省的な感受性を育んでいきました。
後に宇多田ヒカル自身がインタビューなどで振り返っているように、母・藤圭子は家庭内でも絶対的なカリスマであり、同時に予測不可能な情熱と脆さを併せ持つ存在でした。スタジオで圧倒的な歌唱指導を行う厳格な音楽家としての顔と、時に感情をコントロールできなくなる母親としての顔。その両面が、若き日の宇多田ヒカルのアイデンティティ形成に決定的な影と光を落とすことになります。