なぜ「体罰は教育」と語るのか?戸塚宏の名言に隠された真相と現在を徹底解説

なぜ「体罰は教育」と語るのか?戸塚宏の名言に隠された真相と現在を徹底解説

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戸塚宏の歩みは、もともと教育者として始まったものではありませんでした。1940年、愛知県名古屋市に生まれた戸塚氏は、名門・名古屋大学工学部機械工学科を卒業した典型的な理系エリートでした。大学時代からヨットに傾倒し、1975年には世界的な外洋ヨットレースである「沖縄・マニラ間太平洋横断シングルハンドヨットレース」で優勝を飾り、一躍日本を代表するトップセーラーとして脚光を浴びます。

名声を得た戸塚氏は1976年、愛知県美浜町に「戸塚ヨットスクール」を開校しました。当初は純粋なオリンピック選手育成を目的としたヨット教室でしたが、あるとき情緒不安定な少年を合宿で指導したところ「立ち直った」と評判になり、全国から非行や登校拒否、引きこもりに悩む親たちからの相談が殺到するようになります。ここから、スクールの歯車は急速に狂い始めました。

1979年から1982年にかけて、スクール内で訓練生に対する組織的な暴行が常態化します。1979年には入校直後の少年(当時13歳)がコーチ陣の暴行により死亡。さらに1982年には、暴行を受けた訓練生2名が海に飛び込み行方不明(後に死亡認定)となり、同年12月には入校したばかりの青年(当時21歳)が激しい集団暴行の末に外傷性ショック死を遂げました。警察が押収した日誌や目撃証言からは、連日のように竹刀による殴打や、厳寒の海への投げ込みが「シゴキ」として繰り返されていた実態が明らかになります。

1983年、愛知県警は戸塚校長を含む関係者を傷害致死などの容疑で逮捕。裁判は長期化を極め、一審の名古屋地裁、二審の名古屋高裁を経て、2006年に最高裁判所で上告が棄却され、戸塚氏には懲役6年の実刑判決が確定しました。出所までの間、そして静岡刑務所を出所した2006年4月の会見においても、戸塚氏は「体罰は教育であり、自分は無罪だ」と主張し、一切の謝罪や反省の弁を述べることはありませんでした。

吉田 誠
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吉田 誠

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