巨大な国家警察組織である警視庁が投入した捜査員の数は延べ17万人、捜査費用は当時の金額で約9億9000万円。奪われた金額の3倍以上をつぎ込みながら、なぜ犯人に辿り着けなかったのか。その背景には、1960年代末という激動の時代が生んだ社会状況と、若者グループへの疑心暗鬼が存在していた。
立川グループと呼ばれた地元のアプレゲール青年たちや、政治的過激派の影。警察はあらゆる可能性を追ったが、モンタージュ写真という「固定観念」に縛られた捜査網は、網の目をすり抜ける真犯人を捉えきれなかった。犯行に使用された盗難車の特定遅れや、初期捜査における現場保存の甘さも重なり、刻一刻と時効のタイムリミットが迫っていった。