岡田有希子さんを語る上で欠かせないのが、サンミュージック創業者である相澤秀禎会長の存在です。相澤氏は岡田さんを自宅に下宿させ、実の娘のように深い愛情を注いで育てていました。
名古屋の進学校から「学年1位を取ること」を条件に芸能界入りを勝ち取った岡田さんの才能と努力を、相澤会長は誰よりも高く評価していました。それだけに、事務所ビルからの投身という結末は、事務所全体に癒えることのない傷跡を残しました。
相澤会長は生前、自著やインタビューで「なぜあの時、もっとそばにいてやれなかったのか」「兆候に気づいていながら救えなかった」と、生涯にわたって悔恨の念を吐露していました。この悲劇を契機に、サンミュージックは所属タレントの精神面を支えるマネジメント体制の抜本的な見直しを迫られることになります。