デヴィ夫人という激動の軌跡|大統領夫人から2026年の資産と素顔まで

デヴィ夫人という激動の軌跡|大統領夫人から2026年の資産と素顔まで

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華美な装身具を身にまとう現在の姿からは想像しがたいものの、デヴィ夫人(本名:根本七保子)の原点は、昭和初期の東京・麻布にあった貧しい大工の家庭にあります。1940年(昭和15年)に生まれ、第二次世界大戦下の空襲と極度の物資不足の中で幼少期を過ごしました。病弱だった父親が早くに他界したため、母と最愛の弟・八曾男(やそお)を養うため、定時制高校に通いながら昼間は千代田生命保険で勤務。夕方以降は高級クラブなどで働き、睡眠時間を極限まで削って家計を支えていた苦闘の日々が、自著や回想録でも生々しく語られています。

運命の転換点は1959年、彼女が19歳の初夏でした。当時の東京・赤坂にあった名門クラブ「コパカバーナ」や帝国ホテルの宴席において、国賓として来日中だったインドネシアのスカルノ大統領との劇的な馴れ初めが訪れます。日本側の戦後賠償ビジネスやプラント輸出を巡る商社・東日貿易などの政治的仲介があったことは歴史的事実ですが、それ以上に大統領を一目で虜にしたのは、若き七保子が放つ圧倒的な知性と気品でした。

同年秋、単身ジャカルタへ渡航した彼女は、イスラム教への改宗を経て1962年に正式結婚。公的儀礼においてインドネシア大統領第3夫人となり、「ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(宝石の聖なる女神)」の名を授かりました。当時メディアや公文書に記録された「デヴィ夫人の若い頃の写真」は、オードリー・ヘプバーンを彷彿とさせる彫りの深い美貌と引き締まった表情で、世界各国の要人たちを瞠目させました。しかし、冷戦構造の最前線にあった東南アジアの政争は、彼女をさらなる試練へと追い込んでいきます。

松本 悠斗
著者

松本 悠斗

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。