PL学園の名を日本中、ひいては世界中に知らしめた最大の原動力は、間違いなく硬式野球部の圧倒的な実績でした。春の選抜大会で3回、夏の選手権大会で4回、通算7回の甲子園全国制覇。春夏通算96勝という金字塔は、高校野球の歴史そのものです。
特に1983年から1985年にかけての「桑田真澄・清原和博」によるKKコンビの時代は、甲子園に5季連続出場を果たし、優勝2回・準優勝2回という驚異的な記録を樹立しました。その後も、立浪和義氏、宮本慎也氏、松井稼頭央氏、福留孝介選手、前田健太投手など、NPBやMLBで超一流の実績を残した出身有名人を次々と輩出しました。
しかし、その眩い光の裏には、昭和的な体育会文化が極限まで煮詰まった「影」が存在していました。当時の選手たちの自著や回顧録で語られているのは、「付き人制度」と呼ばれる上級生と下級生の極めて厳格な上下関係です。私生活の隅々まで1年生が3年生の世話を焼き、わずかなミスも許されない過度なストレス環境が温床となり、2000年代以降、度重なる暴力事件や指導トラブルが表面化することになりました。
日本学生野球憲章の改定やコンプライアンス意識の高まりとともに、度重なる対外試合禁止処分が下され、学園側と教団執行部は徐々に野球部運営への姿勢を硬化させていきました。2013年には監督が退任した後、新たな指導者を招聘せず、野球経験のない校長が監督登録を行うという異例の事態に発展。2015年に新規部員の募集受け入れを停止し、2016年7月の大阪大会敗退をもって部員がゼロとなり休部しました。球界に多大な衝撃を与えたこの休部劇は、黄金期の幕引きを象徴する出来事となりました。