加藤登紀子の人生を語る上で、生涯ただ一人の加藤登紀子の夫であった藤本敏夫氏の存在を抜きに語ることはできません。二人の出会いは1960年代末、学生運動の嵐が吹き荒れる激動の時代に遡ります。京都大学出身の元全学連委員長として時代の矢面に立っていた藤本氏と、東大卒のエリート歌手として時代の寵児だった加藤登紀子。二人の結びつきは、当時の保守的な芸能界において前代未聞のセンセーションを巻き起こしました。
最も世間を驚愕させたのが、1972年5月に行われた加藤登紀子の獄中結婚でした。藤本氏が防衛庁襲撃事件などの責任を問われ、懲役3年8カ月の実刑判決を受けて服役中、加藤は周囲の猛反対を押し切って獄中の彼と婚姻届を提出。面会室のアクリル板越しに愛を誓い、同年には長女を出産しました。世間の好奇とバッシングに晒されながらも、彼女は「自分が愛した男を信じ抜く」という強い覚悟を貫き通しました。
出所後の藤本氏は、それまでの政治闘争から舵を切り、「大地に根ざした生き方」を模索し始めます。千葉県鴨川市の荒れた山林を自ら切り拓き、循環型農業の実践の場として立ち上げたのが加藤登紀子と鴨川自然王国の原点です。加藤もまた、妻として、表現者として夫の理念を全面的にサポートし、激動の昭和から平成を共に駆け抜けました。
しかし、過酷な運命が二人を分かつことになります。2002年7月31日、藤本氏は肝臓がんのため58歳という若さで逝去。加藤登紀子の夫の死因となった病との闘いは壮絶を極めましたが、最期の瞬間まで家族が見守り、手を握り締めながら旅立ちを見送ったと伝えられています。夫を喪った直後の記者会見で見せた毅然とした立ち居振る舞いと、心の奥底に宿る深い喪失感は、当時の報道関係者の胸を強く打ちました。