若き日の結婚生活が破綻を迎えた背景には、昭和の時代における典型的な「夫の都合に合わせた妻の従属」を巡る対立がありました。直接の離婚理由は、元夫が大学を中途退学し、サウジアラビアでの現地就職を決めたことでした。
元夫は小池氏に対し、学業を中断して妻としてサウジアラビアへ同行することを強く求めました。当時のイスラム圏において、日本人女性が単身で行動することは極めて制限が多く、夫に同行すれば自身が志半ばであったカイロ大学を退学せざるを得ない状況でした。彼女は自著の中で、当時の心境を「カイロ大学を卒業したいという強い意志と、夫についていくべきかという葛藤の狭間に立たされた」と述懐しています。
結果として彼女が選んだのは、結婚生活の維持ではなく自身の卒業資格とキャリアの獲得でした。話し合いの末に2人は離婚に合意。元夫はサウジアラビアへ旅立ち、小池氏はカイロに残り、1976年にカイロ大学を無事に卒業します。家庭に入って夫を支える生き方よりも、己の足で自立して国際社会で生きる道を選び取った瞬間であり、その後の政治家・小池百合子の行動原理を象徴する原体験となりました。
なお、子供の有無については「なし」です。後年、小池氏は40代半ばの1998年、衆議院議員時代に子宮筋腫が悪化したことで子宮全摘出手術を受けた事実を公表しています。女性として子供を産み育てる人生を選択しなかったことに対する葛藤や切なさを当時の手記で吐露しつつも、自らの運命を受け入れて職務に邁進する姿勢を示しました。