歌舞伎町さくら通りの歩みは、そのまま歌舞伎町という街の戦後史と重なり合っています。第二次世界大戦の空襲によって焦土と化したこの地を、「復興のシンボル」として文化と芸能の街に作り替えようとした復興計画が街落成の原点でした。通り名の「さくら通り」は、通り沿いに桜並木を植栽し、清潔で華やかな名所を目指した当時の理想に由来しています。
高度経済成長期からバブル経済期にかけて、近隣の新宿コマ劇場を中心とした興行街の発展とともに、さくら通りは劇場帰りの観客が立ち寄る飲食店やバーで賑わいを見せました。しかし、1980年代後半から1990年代にかけて風俗営業店や個室サウナ、雑居ビル内のスナックが急激に増加。通りは文化的な遊歩道から、大人の色街へと急速に性格を変えていきました。
2000年代初頭には、いわゆる石原都政下における「歌舞伎町浄化作戦」が敢行され、不法滞在者や違法風俗店の徹底的な取り締まりが実施されました。これにより暴力的な犯罪は激減したものの、街の勢力図は地下へと潜行。そして2026年代に入り、東急歌舞伎町タワーの誕生や新宿駅周辺の大規模再整備計画が加速するなかで、さくら通り周辺にも老朽化した雑居ビルの建て替えや権利関係の整理といった再開発の波が徐々に押し寄せています。
歴史の皮肉とも言えるのは、都市の近代化が進めば進むほど、さくら通りが持つ「昭和の雑多な迷宮性」が希少価値を帯びているという点です。無機質なガラス張りの複合ビルにはない、路地特有の体温が今なおこの通りには残されているのです。