プロレス史に深く刻まれた「またぐなよ事件」の引き金が引かれたのは、1999年8月28日に開催された新日本プロレスの神宮球場大会『JINGU BATTLE CLIMAX』でした。当時、大仁田厚氏は新日本のリングにおいてグレート・ムタ(武藤敬司氏の化身)とのノーロープ有刺鉄線バリケードマット時限装置つき電流爆破マッチに敗北を喫した直後でした。満身創痍でありながらも、大仁田氏が真に標的として定めていたのは、当時現役を退き新日本の現場監督として辣腕を振るっていた長州力氏だったのです。
大仁田氏はメインイベント終了後、土足で新日本のリングを占拠し、長州氏との直接対決を直訴すべくエプロンへと駆け上がりました。これに対し、リングサイドから猛然とリング内へと歩を進めた長州氏が、リングロープを跨いで侵入しようとする大仁田氏を激しい眼光で指差しながら放った怒号こそが、あの伝説的なフレーズでした。
「おい、跨ぐなよ!跨ぐなよコラ!跨ぐな!」
この言葉の裏側にあった真相は、単なる感情的な激怒ではありませんでした。当時の新日本プロレスにとって、リングロープの内側はアントニオ猪木氏から受け継がれてきた「ストロングスタイルの聖域」でした。対して大仁田氏は、有刺鉄線や爆破をトレードマークとする「邪道」の象徴です。大仁田氏がロープをまたぐという行為は、新日本プロレスの神聖な歴史と格式がインディーの濁流に飲み込まれることを意味していました。
長州氏の自著や当時の関係者証言によると、長州氏は「新日本のリングに土足で上がらせるわけにはいかない」という強烈な防衛本能と現場監督としての責務から、反射的にあの言葉を叩きつけたとされています。一歩でもロープを跨げば完全に新日本のリングが汚されるという瀬戸際で発せられたからこそ、あの叫びには聴く者を戦慄させる剥き出しの迫力が宿っていたのです。