岡田の立志伝は、日本の遊技機産業の歴史そのものと言っていい。1969年に創業したユニバーサル技研を皮切りに、現在の株式会社ユニバーサルエンターテインメントへと発展させた原動力は、彼の卓越した技術力と勝負勘だった。とりわけ2000年代初頭に登場した「ミリオンゴッド」シリーズは、射幸性とゲーム性の極致としてホールを席巻し、同社に天文学的なキャッシュフローをもたらした。
だが、パチスロの成功だけで満足する男ではなかった。国内市場の頭打ちを冷徹に見据えていた岡田は、早くから海外のカジノ・ゲーミング産業へと目を向ける。その布石となったのが、米ラスベガスの大物スティーブ・ウィンとの提携だ。岡田はウィン・リゾーツの立ち上げに際して巨額の創業資金を出資し、筆頭株主としてマカオ進出を強力に牽引した。
東洋と西洋のギャンブル王が手を組んだ蜜月は、しかし長くは続かない。事業方針の食い違いと主導権争いから関係は破綻し、ウィン側から株券を強制償還されるという前代未聞の事態へ発展する。この屈辱的な追放劇こそが、岡田を「自らの名を冠した単独の巨大リゾート建設」という執念へと駆り立てる引き金となった。