立憲政友会とは?伊藤博文創設の真相から五一五事件の終焉まで徹底解説

立憲政友会とは?伊藤博文創設の真相から五一五事件の終焉まで徹底解説

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立憲政友会(りっけんせいゆうかい)とは、1900年(明治33年)9月15日に伊藤博文を初代総裁として結党された、近代日本最初の大規模な立憲政党です。それまでの帝国議会は、薩摩・長州出身の官僚勢力である「藩閥」と、民権運動の流れを汲む野党勢力「民党」が激しく対立し、予算案が通らずに解散と総選挙を繰り返す泥沼の膠着状態に陥っていました。

明治政府の最高実力者であり、大日本帝国憲法の起草者でもある伊藤博文は、当初「政府は議会の政党から超然として独立すべきである」という超然主義を掲げていました。その伊藤がなぜ、自ら頭を下げて政党の創設に踏み切ったのか。そこには日清戦争後の急速な国家財政膨張と、議会運営に行き詰まった藩閥権力のリアルな焦燥がありました。

当時の政府記録や書簡集によると、伊藤は「議会の協力なしには、近代国家の富国強兵も軍備拡張も1円たりとも予算を執行できない」という現実に直面していました。日清戦争の賠償金処理や八八艦隊計画など、膨大な国家予算を通すためには、議会第一党であった憲政党(旧自由党系)との提携が不可欠だったのです。

星亨をはじめとする憲政党の実力者たちもまた、行政官ポストや公共事業の利権を握るために政府中枢とのパイプを渇望していました。国家の舵取りに議会の過半数が欲しい伊藤博文と、中央の権力と予算が欲しい政党側の思惑が完全に一致し、憲政党を解党・吸収する形で誕生したのが立憲政友会でした。理想の政党論というよりも、統治機構の機能不全を打開するための極めて現実的な政権安定装置として産声を上げたのが、その結党背景の真相です。

鈴木 陽菜
著者

鈴木 陽菜

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