ミリオンセラーを達成し、名実ともにトップバンドへと駆け上がったJUDY AND MARYですが、その光が強くなればなるほど、影の亀裂も深まっていきました。2001年3月の東京ドーム公演をもってバンドは解散しますが、その遠因はこの『そばかす』前後の時期に始まっていました。
【プロの結論】音楽的主導権の移行とクリエイターの心理的境界線
バンド初期は恩田快人がメインコンポーザーとしてバンドを牽引していましたが、中盤以降、音楽的実験精神と先進性を求めるTAKUYAが作曲の主導権を握るようになります。アルバム『THE POWER SOURCE』(1997年)や『POP LIFE』(1998年)でTAKUYAサウンドが極まる一方、創設者である恩田快人の作曲機会は激減していきました。
また、超多忙なツアースケジュールによる心身の疲弊、YUKIの喉のポリープ手術、メンバー間のコミュニケーションの断絶など、複数の負荷が同時にのしかかりました。社会心理学でいう「創造的燃え尽き」と「心理的バウンダリー(境界線)の崩壊」が、4人の関係性を修復不可能な段階まで追い込んでいったと言えます。
しかし、互いの才能を認め合いながらも妥協を許さなかったからこそ、ジュディマリは解散から長い年月が経った現在も、一切の古さを感じさせない圧倒的なクオリティの音源を遺すことができたのです。