県庁の座を前橋に譲った高崎市は、その後どのような道を歩んだのでしょうか。高崎の町衆は行政機能の喪失に落胆するだけでなく、いち早く「交通と物流」に活路を見出しました。1884年に上野・高崎間の鉄道(現在のJR高崎線)が開通したことを皮切りに、信越本線や上越線、さらには上越・北陸新幹線の分岐点となる一大ターミナル駅を勝ち取ります。その結果、高崎は北関東随一の「商都」「交通の結節点」として爆発的な発展を遂げました。
2026年現在の両市の都市指標を客観的データで比較すると、役割の違いが明瞭に浮かび上がります。
前橋市と高崎市の人口比較を見ると、数字の上では高崎市が県内トップを維持しています。しかし現場を取材すると、単純な優劣関係ではなく、両都市が絶妙なバランスで機能分担している実態が見えてきます。前橋市内には県庁のほか、群馬大学本部、地方裁判所、国の地方出先機関が集積し、落ち着いた佇まいの中で「知と行政の司令塔」としての風格を保っています。近年では官民連携による中心市街地再生プロジェクト(白井屋ホテルをはじめとするアート・建築・デジタルを活用した街づくり)が国内外から高い評価を受けており、高崎の商業的賑わいとは異なる洗練された都市文化を発信しています。