敷地内へ一歩足を踏み入れると、外界の喧騒から隔絶された静謐な空間が広がります。旧吉田茂邸の境内には、政治的意図と美意識が交錯する象徴的なスポットが点在しています。
まず来訪者を迎えるのが、通称「黒門」とも呼ばれる「兜門(かぶともん)」です。昭和29年(1954年)、サンフランシスコ平和条約の発効と吉田茂の総理退任を記念して建てられた門で、屋根の軒先が武士の兜の形状に似ていることから名付けられました。京都の裏千家に現存する門を模して造られたとされ、数寄屋大工の粋を極めた優美な曲線が特徴です。
本館の建物内部は、吉田五十八が得意とした「近代数寄屋建築」の真骨頂を体感できます。要人を迎える応接室として使われた「楓の間(かえでのま)」は、柱を見せない大開口の窓ガラスが特徴で、外の日本庭園の景色が一幅の絵画のように室内に溶け込みます。また、2階の寝室や書斎として使われた「銀の間」や、富士山と相模湾を一望できるサンルームなど、日米外交に心血を注いだ宰相の息遣いがリアルに伝わってきます。
邸宅を取り囲む広大な回遊式日本庭園も見逃せません。心字池を中心に配置された庭園は四季折々の草花が彩り、春の桜や新緑、秋の紅葉など訪れる時期によって全く異なる表情を見せます。庭園の南端の高台には、サンフランシスコの方角を向いて毅然と立つ「吉田茂銅像」が建立されており、太平洋を力強く見つめるその姿は圧巻です。