中世の文献において『梁塵秘抄』の名は、吉田兼好の『徒然草』第十四段(「梁塵秘抄の抄出の歌を見るに、たいだいめでたき事多し」)や、鎌倉時代の図書目録『本朝書籍目録』に「全二十巻」として記録されていました。しかし室町時代以降、その実物は散佚し、長きにわたり「幻の奇書」として語り継がれてきたのです。江戸時代後期の『群書類従』に「口伝集巻第十」のみが収録されたものの、歌謡そのものの大部分は完全に歴史の闇へと消え去ったと考えられていました。
この状況が一変したのが、明治44年(1911年)のことです。国文学者であり歌人の佐佐木信綱らが、京都の旧華族である三条家所蔵の古典籍を調査していた際、偶然にも『梁塵秘抄』の「巻第二」および「巻第一残簡」、さらに「口伝集巻第一」を発見しました。実に700年以上の時を経て、平安末期の人々の生々しい肉声が近代社会に突如として蘇った瞬間でした。
古代文学研究の泰斗である西郷信綱らをはじめとする研究者たちは、この発見によって平安時代のイメージを根本から刷新されることになります。貴族の雅やかな美意識の陰に隠れていた、庶民の逞しいヴァイタリティや、過酷な生を生きる民衆の泥臭い信仰告白が白日のもとに晒されたのです。
SNSや教養系コミュニティのリアルな反響を検証すると、「古典のなかで最も現代のJ-POPやヒップホップに近い」「敷居が高いと思っていた平安文学が、急に血の通った人間の歌に思えた」という声が数多く見られます。格式張った文語ではなく、当時のストリートで口ずさまれていたリズムが、令和の若者にも新鮮なリアリティをもって響いています。