阿修羅といえば、古代インド神話において帝釈天(インドラ)と果てしない戦いを繰り広げた魔神・アスラを起源とします。東南アジアや中国の仏教美術において、阿修羅は目を怒らせ、牙を剥き出しにした猛々しい異形の鬼神として描かれるのが通例でした。しかし、興福寺に伝わる阿修羅像の前に立ったとき、誰もが息を呑むのは、その荒々しさとは対極にある透明感に満ちた静謐さと繊細な哀しみです。
興福寺阿修羅像の表情の理由を探る上で、まず注目すべきは左右と正面で微妙に異なる「三つの顔」のグラデーションです。
正面の顔は、わずかに眉を寄せ、遠くを見つめるような憂いの眼差しをたたえています。唇をわずかに開き、何事かを呟きかけているかのようなその口元は、戦いに明け暮れた過去を激しく恥じ入り、仏法に帰依して救いを求める「懺悔の境地」を示していると解釈されてきました。一方、向かって左側の顔は、下唇を強く噛み締めて激しい葛藤を押し殺すような厳しさを帯びており、向かって右側の顔には、どこか幼さが残り、己の非を悟って途方に暮れる少年の面影が宿っています。
興福寺阿修羅像の三面六臂の謎についても、単なる怪奇的な多面多臂の神格表現ではありません。上段の二本の手は日天と月天を掲げていたと推測され、中段の手は弓矢を構えていた名残とされますが、胸の前でそっと合わせられた正面の二本の手は、完全な非戦と恭順を示す「合掌のポーズ」をとっています。悪神が武力を放棄し、内省の極致へと向かう過渡期の心の揺らぎ――。この三つの顔と六本の腕は、人間が過ちを犯し、葛藤し、やがて真の自立と許しへと至る精神的成長のプロセスを可視化したものといえます。