『if』の詩世界を学術的・心理学的な観点から分析すると、きわめて高度なメンタルプロセスの描写が見て取れる。歌詞の根底を貫くのは、心理学でいう「反実仮想思考(Counterfactual Thinking)」である。「もしあの時、別の電車に乗っていたら」「もしあの日、声をかけていなかったら」という、過去の異なる選択肢を想起する認知プロセスだ。
通常、反実仮想は「後悔」や「抑うつ」を引き起こす要因になりやすい。しかし西野カナの『if』において秀逸なのは、この反実仮想を後悔のトリガーとしてではなく、「今ある結びつきの尊さを最大化するための対比装置」として機能させている点である。「もし出会っていなければ」という喪失の恐怖をあえて仮定することで、目の前にいる他者がいかにかけがえのない存在であるかを逆説的に証明しているのだ。
さらに注目すべきは、他者との健全な距離感を意味する「心理的バウンダリー(境界線)」の成熟である。当時のギャルカルチャーを席巻した失恋ソングの多くは、「相手がいないと自分が崩壊してしまう」という共依存的な苦痛をストレートに叫ぶものが主流だった。しかし『if』では、相手と自分が別の人生を歩んできた独立した個であることを認めたうえで、それでも引き寄せ合わずにはいられなかった「必然」を静かに受け入れている。
公式MV(ミュージックビデオ)で見せる、広大な自然のなかで風に吹かれながら歌う西野カナの佇まいは、初期の閉塞感ある都市型ビジュアルから、より開放的で普遍的な人間愛へのステップアップを視覚的にも雄弁に物語っていた。