サロン勤務で着実に腕を磨き、トップスタイリストとしての頭角を現した彼は、30歳を目前にして独立を決意する。1992年、ヘアメイク事務所「アトリエIKKO」を設立。しかし、後ろ盾のないフリーランスの世界は冷酷だった。仕事のアテもなく、資金繰りに追われる日々が続く。
その暗闇の中で差し込んだ一筋の光が、当時国民的人気アナウンサーとして活躍していた逸見政孝氏との出会いだった。逸見氏の専属ヘアメイクを担当することになったIKKOは、ミリ単位の髪の毛の流れ、カメラ映りを計算し尽くした緻密なメイクを施し、絶大な信頼を勝ち取っていく。
逸見氏のダンディで誠実なパブリックイメージを陰で支え続けた仕事ぶりは業界内で瞬く間に評判となり、雑誌の表紙や広告撮影、女優たちのビューティー・メイクアップのオファーが殺到。「アトリエIKKO」は業界トップクラスのヘアメイク集団へと急成長を遂げた。だが、成功と引き換えに過密スケジュールが続き、過度のプレッシャーからパニック障害を発症するなど、精神の限界との闘いも激しさを増していった。