安重根は単なる暴徒や狂信者ではなく、名門の両班(貴族階級)出身で、熱心なカトリック信徒でもありました。かつては教育運動を通じて国権回復を目指していましたが、1905年の第二次日韓協約(乙巳保護条約)による保護国化を機に武装独立闘争(義兵闘争)へ身を投じます。
取り調べの場で、安重根は犯行理由として「伊藤博文の15箇条の罪状」を堂々と陳述しました。そこには「閔妃(明成皇后)暗殺の主導」「大韓帝国の皇帝(高宗)を強制退位させたこと」「不平等条約の締結」「罪なき韓国人の虐殺」「東洋平和を乱したこと」などが並びます。
興味深いのは、当時の伊藤博文自身は急進的な韓国併合に慎重論を唱えていた事実です。しかし、現地で武力弾圧を目の当たりにしていた安重根側から見れば、日本による侵略政策の最高責任者こそが統監を務めた伊藤博文であり、元凶を討つことこそが祖国独立の突破口になると信じて疑いませんでした。