武家社会最大の目的は「家の存続」であり、そのためには何としても男子の跡継ぎを確保しなければなりませんでした。正室が子に恵まれない場合、側室にその役目が回ってくるわけですが、ここに教科書には載らない跡継ぎと生母の扱いに関する冷酷なシステムが存在します。
幕府や各大名家の公式法制において、側室が生んだ子どもは、生まれた瞬間に「正室の実子」として帳簿に記載されました。生母である側室は、自らが腹を痛めて産んだ我が子であっても、公の場で「母」と名乗ることは許されず、我が子からは「御新造様」など身分の低い女性に対する敬称で呼ばれ、平伏して挨拶を受ける側ではなく「挨拶をする側」に留まりました。
当時の一次史料や諸藩の日記にも、生母が我が子を抱くことすら制限され、乳母(うば)や専属の奥女中に養育が委ねられる光景が克明に記録されています。世継ぎとして成長する若君にとって、公的な唯一の母はあくまで「正室」であり、実の母親は「若君を産んでくださった功労ある女中」という歪な身分関係に置かれたのです。生母が正式に「将軍の母」「藩主の母」として重んじられるのは、夫である主君が没し、息子が実際に家督を継いで「院号」を下賜された後という、極めて限定的な場面に限られていました。