1999年の自公連立政権発足から四半世紀以上が経過しました。公明党の国会議員数は衆参合わせて数十議席規模ですが、連立政権内での影響力はその議席数以上の重みを持ち続けてきました。
自民党が公明党を手放せない最大の理由は、衆議院の小選挙区制度における圧倒的な集票力にあります。激戦区の小選挙区では、創価学会員が動かす「基礎票」がおよそ1万5000〜2万票存在すると言われます。接戦を制するためにこの組織票は決定的な意味を持ち、自民党候補の多くが公明党・創価学会の推薦なしには当選ラインに届かない構造が定着しました。
一方の公明党は、連立政権内で「福祉の党」「ブレーキ役」を自任し、以下のような政策面で存在感を示してきました。
- 国土交通大臣ポストの継続:道路・河川などのインフラ管理や防災減災、観光政策を所管し、生活密着型の政策実行力をアピール。
- 軽減税率の導入:消費税率引き上げに際し、自民党内の反対論を押し切って食料品などへの軽減税率(8%)を定着させた。
- 社会保障・子育て支援の拡充:児童手当の創設から対象拡大、高校無償化など、ファミリー層向けの施策をリード。
しかし、この関係性は常に平坦だったわけではありません。集団的自衛権の行使容認を含む安全保障関連法案や防衛費の大幅増額などを巡り、平和主義を掲げる公明党の支持母体からは「自民党に追従しすぎているのではないか」「ブレーキ役どころかアクセルを踏んでいる」という厳しい批判が巻き起こりました。理念と政権維持の妥協の間で生じる摩擦は、公明党が常に抱える宿命的なジレンマです。