Q1:信長の妻・濃姫の本名は本当に「帰蝶」だったのですか?
A1:同時代の一次史料には「帰蝶」という名前は一切登場しません。江戸時代中期に書かれた軍記物『美濃国諸旧記』が初出とされており、後世に創作・流布した通称と考えられています。当時は「濃姫(美濃から来た姫)」や「安土殿」と呼ばれていました。
Q2:信長と濃姫の夫婦仲はどうだったのですか?
A2:確たる個人的な手紙などは残っていませんが、公家の日記などには正室への礼を欠かさなかった様子が記されています。また、実子がいなかったにもかかわらず離縁されず、信長死後も「安土殿」として織田家から手厚い知行地を与えられていた事実から、極めて安定した敬意ある関係であったと推察されます。
Q3:側室の吉乃やお鍋の方との間にドロドロの愛憎劇はあったのでしょうか?
A3:大奥のような熾烈な権力闘争を描く時代劇もありますが、史料上にそうした対立の記録はありません。正室(濃姫)は奥全体の統括と同盟の象徴、側室(吉乃やお鍋の方)は後継者の出産と養育という明確な役割分担が存在したため、政治的な対立に発展する余地は少なかったと考えられます。
Q4:濃姫の本当の死因と亡くなった場所はどこですか?
A4:現在最も有力な説では、慶長17年(1612年)7月9日、京都にて病気あるいは老衰(享年78前後)で亡くなったとされています。京都の大徳寺総見院にある過去帳に記された「養華院殿」が濃姫に該当するという研究が近年の歴史学界で広く支持されています。