国会議員としてのキャリアを順調に重ねていた辻政信でしたが、その冒険主義的な本能は衰えていませんでした。1961年(昭和36年)4月、参議院の承認を得て東南アジア視察へ出発。しかし、本来の公式日程を外れ、内戦状態にあったラオスへ単身で極秘潜入を試みたのを最後に、彼の消息は完全に途絶えました。
当時、僧侶の衣をまとってラオス北部の要衝「ジャール平原」方面へ向かったとされる辻の失踪目的については、現在も複数の説が存在します。
- 共産軍(パテト・ラオ)との接触説:独自のパイプを築き、アジアの民族解放闘争を仲介しようとしたという説。
- 軍事・情報調査説:激化するインドシナ情勢を肌で探るため、米軍や右派勢力の動向を偵察しようとしたという説。
- 金塊回収・秘密工作説:旧軍時代に東南アジアへ遺留された軍用物資や資金の回収を狙ったという風説。
失踪後、日本政府による捜索活動が行われたものの決定的な遺留品は見つからず、1969年(昭和44年)6月28日に民法上の失踪宣告が出され、死亡認定が下されました。
死因については、「パテト・ラオまたは北ベトナム軍にスパイ容疑で拘束され処刑された」という見方が現在もっとも有力視されています。一方で、冷戦下の情勢ゆえに「中国やソ連に亡命して軍事顧問を務めていた」「ベトナム戦争終結後まで現地で生き延びていた」といった数々の生存説が長年にわたり語り継がれ、昭和最大の未解決ミステリーとして今も人々の好奇心を刺激し続けています。