「人気があるなら動物園が誘致すればいいのではないか」という疑問が生じるのは自然なことです。しかし、動物園関係者や保全生物学の専門家が口を揃えて指摘するのは、生体維持における圧倒的な技術的・環境的ハードルの高さです。
第1の障壁は、チベット高原特有の極限環境への過度な適応です。彼らが暮らすのは標高2,500mから5,200mに及ぶ寒冷なステップ気候です。気圧は平地の6割から7割程度、年間平均気温が氷点下近くまで下がり、湿度が著しく低い環境に身体機能が特化しています。高温多湿な日本の夏場はもちろん、平地における気圧・酸素濃度の高さそのものが、呼吸器系や循環器系に致命的な代謝ストレスをもたらします。
第2の障壁は、食性の偏りと生態系ネットワークの再現不可能性です。野生のチベットスナギツネの食事内容は、約90%以上が生息地に群生する「高原ナキウサギ(クチグロナキウサギ)」で占められています。ナキウサギの掘った巣穴を巧みに利用し、ときにヒグマの掘り起こしに便乗して狩りを行うなど、現地の生態系と深く結びついています。人工飼料やドッグフード、一般的な生肉への代替は消化器不全を招きやすく、栄養バランスの維持が極めて困難です。
第3の障壁は、人工飼育下における極度のストレス脆弱性です。野生キツネ類の中でも警戒心が並外れて強く、閉鎖空間に入れられた個体は激しい常同行動(同じ場所を往復し続けるストレス行動)や拒食に陥りやすい傾向が報告されています。中国国内の研究機関における一時的な保護個体を除き、長期的な累代繁殖に成功したモデルケースは確立されていません。