パレルモでの蜂起に成功したシチリアの指導層は、シャルル・ダンジューによる猛烈な報復を避けるため、地中海のライバル勢力であったアラゴン王国(現在のスペイン東部)に救援を要請します。アラゴン王ペドロ3世の王妃コスタンツァは、かつてのシチリア王マンフレーディの娘であり、正統な王位継承権を主張できる立場にありました。
ペドロ3世は大艦隊を率いてシチリア島に上陸し、熱狂的な歓迎を受けてシチリア王に即位します。これにより、事態はフランス(アンジュー家)・ローマ教皇陣営と、アラゴン王国・シチリア民衆陣営による20年以上に及ぶ国際戦争「シチリア晩祷戦争」へと突入しました。
1302年のカルタベッロッタの和約によって戦争は終結を迎えますが、かつて繁栄を極めたシチリア王国は真っ二つに引き裂かれます。島部はアラゴン王家が治める「トリナクリア王国」、イタリア半島南部はアンジュー家が留まる「ナポリ王国」となり、シチリア島は長きにわたりスペイン勢力の支配下に置かれる運命をたどることになりました。