長年、この悲劇は「狂信的ゲリラによる突発的な虐殺劇」として処理され、ある種のタブーとして詳細な検証が棚上げされてきた。しかし近年、ロシア極東の機密解除ファイルや当時の私信・軍事日誌の精査が進み、当時の日露双方における外交的・軍事的な駆け引きの闇が浮き彫りになりつつある。
新史料が示すのは、トリャピーツィンの暴虐性だけでなく、現地陸軍司令部と中央政府の深刻な情報断絶、そして救援部隊の遅れを招いた軍内部の判断ミスという冷徹な事実だ。さらに、この悲惨な全滅劇が、その後の北樺太保障占領を正当化するための政治カードとして利用されていく過程など、国境の狭間で犠牲となった市民の命が国家のパワーゲームに飲み込まれていった陰鬱な構図が鮮明になっている。